昭和50年3月16日 特別奉修委員
                           中村良一


今、御祈念前に、善導寺の原さんが、ここでお届けをされるのを聞かせて頂いて、今朝の御理解から思わせて頂く事。また、ほんに、そんな事がありましたねと言うて、まぁ聞かせて頂いたんですけれども。今、ご承知のように、あのあちら、娘さんの所へ、ずっと、留守番に行っておられますから、久し振りで、昨日は、あの自宅のほうへ帰って、久し振りで自宅に泊まらせて頂いたという事でございました。昨日は、ちょうど、あの千恵子さんのご主人が亡くなられた帰幽日に当たっておられますね。祥月、いわゆる命日でした。それから、原さんのお爺ちゃんの、いわゆる、お父さんの、これは、祥月じゃないですけれども、やっぱり帰幽日でしたから、一緒に、朝、ちょっとあの、御霊様へご挨拶をさせて頂いて、そしてから、そのまま、善導寺のほうへ帰られたんです。そしたら、お家には、神様に御神酒のお供えがしてある、御霊様にも御神酒のお供えがしてある。もう信心を頂く者は、子供達があの、信心になって行っておってくれるという事が、何を言うても、一番嬉しい訳ですよね。まぁ本当に、有難い有難いで、昨日一日過ごさせて頂いて。それからまぁ、心づくしの、あの御霊様への、色んな、好物であったものやらも作ったりして、昨日の夕食は、お母さん、この頃、あっちにばっかり行っとりなはるから、この頃、お誕生日に、誕生祝もしなかったから、おご馳走作ったと言うて、まぁ卵酒でも作ってね、まぁ頂いた。まぁ一杯機嫌で、久し振りで、親子でその、信心話をしたと言う話をなさっておられる。それでね、もう本当に、こうして、本当にもう、信心させて頂いて、一番有難いことはね。もう、私の家ほど、私達ほど、おかげ頂いておる者はおらん。私達がもう、一番の、この世での幸せ者だと思えれるところにあるんだという話をしたち言う。これは、原さん自身の実感ですからね、やっぱり。もう本当に、私のごたる、幸せな者があるだろうかとこう。そういう実感がね、感じられる。それが信心だと。
もう本当に、十何年参りよったじゃろうか。月次祭の時に、お供えしたいと思ったけれども、その日に限って、もう何にも無かったち言う。それで、お魚屋さんに行ったら、あの蛸があったから、蛸を借らせて頂いた。これだけじゃ少ないと思って、また、大坪さんという食料品屋があって、心安い家だから、乾物を、また借らせて頂いて、そしてそれを、お月次祭のお供えにさせて頂こうと思って、持ってまいったら、親先生が、今日のお供えは、鯛のお供えを頂いたばいち言わっしゃったち。ね。まぁお供えで言うなら、鯛のお供えが最高でしょうけれども、言うなら、最高のお供えをして、神様は受けて下さったという事がね。何もないから、今日は、神様がご承知だから、もう何にも無いからではなしに。もうせめて、まぁ魚の一匹も買うていかにゃいけん。もう少し、何か乾物の少しなっとん添えてと言う、その、そういう事があったがね。お月次祭が終わって帰らせていただいたら、もうとにかく、まぁ十時ぐらいになるでしょうかね。ところがね、もうそん時には、お客さんが、こげな遅うに来なさる筈はないのに、洋服の注文に来てあった。そしてから、あの、何ち言うですかね。手付けち言うですか、一万円置いて行かれた。それからというものは、ちょうど、四十四着、ずーっと限りなしに、おかげが続いた年があったがね。そういうおかげが頂けるとじゃけんと言う話をさせて頂いたら。息子も嫁も、ね。あぁして、今、熱心に、朝参りが出来ておりますから。お母さんの言うことが、もうそれこそ、何と言うですかね。もう乾いた土に、その水が吸い込むように入って行く。まぁ一杯機嫌もあってから、それこそ、まぁ有難いムードの中にね、昨夜はおかげを頂いて、久し振り、あの自宅に泊まらせて頂いてから、こんなおかげ頂いたと言うお届けを聞かせて頂きながらね。おかげを受けることも有難い。自分の思うようになることも有難いけれどもね。あの信心を頂くというほど、素晴らしいことはないです。
ほんなら、今、原さんが、例えば、その沢山な金を銀行に預金してある。家はもう大繁盛しよる、立派なお家に住まわれておるという事はないのですよ。それでもね。私ほど、幸せな者があるだろうかと思えれる、ね。私一家ほど、おかげを頂いておる家庭はなかばいと、言えれるほどしの心の状態を頂ける事が信心だという事です。ね。私はもう、本当に、信心を頂くという事の素晴らしいことはね、感じられます。
今、川上さん達が、親子四人で、お礼お届けに出て見えまして、去年、九大を息子さんが受けましたけれども、それこそ熱心に、お願いをして、お願いをしたけれども出来なかった。もう一年間、それこそ、皆さんもご承知のように、あんなに、勢を揃えてのご信心が出来られた。それでいて、ほんなら、また、不合格でした。福大のほうへ合格しておられましたから、まぁ福大のほうへ、今度、行かれることになる訳でございますけれどもです。もう、その事に対して、もう本当に、あの貧乏揺るぎもあっていないという事ですね、家族の中に。それはあの、こりゃもう、何と言うでしょうかね。昨日、私、お礼に出て見えた時に頂いた事が、「おのおのの心が合うた」という事を頂くんですよ。それは、どういう事かと言うと、合格という事を反対に示して下さった。合格の格という字は、木偏に、各々という字が書いてあるでしょうが。各々の心が合うた。各々の心が揃うたという事である。ね。それも、ほんなら、下から頂いておるのですから、上から読めば合格ですけれども、下から行けば、その反対になっておるんだ。けれども、各々の心が合うたという事が素晴らしいんですよ。ね。私は、その事を、あのね、川上さんは柿餅を頂かれた。柿餅と言うね、お正月の時に作られるでしょう。柿餅という事は、あの、柿という字は、木偏に市という字が書いてありましょう。だから、木は心ですから、心を一つ、あの餅という事は、心持という事ですね。私と同じようなことを頂いたね、私は、こう頂いたよと言うて、昨日、話したことでしたけれどね。あの、それが信心なのです。ね。
例えば、家庭の中に、はぁお母さん、一家中で、あがしこ熱心に参ったばってん、思うごつならじゃったじゃないの、不合格じゃったじゃないのと、神様も仏様もあるものかというところには、もう信心ではない。ただ、おかげだけがあるという事です。これでは人間は幸せになれませんね。そしたら、ここで、今、お届けに出て見えられましたら、こんなに前の、先のほうが広い扇子を、あの扇子をぴちっとね、こうたたんだ奴を、ここの御結界の机の上に、こうぴちっと、真っ直ぐに置いていただくところを頂いたです。だから、私が、それを頂いてから、皆さんも聞きよりなさったようにね。これから先が楽しみねという事です。なるほど、不合格したおかげで、こういうおかげになってきた。こういう素晴らしい、末広がね、もう肝心要の、ここさえ、しっかりしとりゃ、もう絶対、開けるです。今は、ちょうどそれを、真正面に、ぴしゃっと、扇子を置いたという事は、信心を受けた、頂いたという事ですよね。これから、開けることでしょう。ね。そういう、だから、これから先が楽しみという事を、まぁ私も、言わせていただけるほどしに、川上さん達の信心。はぁもう、残念じゃったのと言わんで良いことが素晴らしい。おかげであったと言えることが素晴らしい。自分達も、おかげであったとして、お礼お届けが出来ると言うことが素晴らしい、ね。
どうぞ皆さん、おかげも受けんならんけれども、おかげと同時に、一つ、本気で、本当な信心を頂いて、原さんじゃないけれども、私ほど幸せな者があるじゃろうか、私一家ほど、おかげを受けておる者が、他にはあるまいと思えるくらいなね。それは立派なお家はありますよ。健康であるところも沢山ありますよ。こりゃもう、物やら財やら、どがしこあるやら分からんという様な事じゃけれども、まぁだ、頂き足らんごと思うちから、もうそれこそ、まぁ我情我欲を一杯言うておって、そらもう、こうして、握り、こう固めておるような人達がおりますが。これなんかはもう、言うなら、地獄に行っとるとと同じことです。ね。あるために、かえって重荷を感じておる。立派なお家に住んでおるから、かえって、おかげを受けていないという様なね。だから、心の状態の上に、私ほど幸せな者はあるまいという様な心が開けて、それに、例えば、人間幸福の条件が、一つ一つ足ろうてくる。いわゆる、信心が出来た。これから、この末広が、一つ一つこう広がっていく喜び、楽しみというものは、大変なこと。為には、この、肝心要が大事だという事。要の信心が大事だという事。ね。
今日は、川上さんのことからね、今、原さんのお届けを聞かせて頂いて、本当に信心が尊いと言うのは、自分の思うようになったらおかげ。自分の思うようにならなかったらおかげではないという様な頂き方では、信心によって、救われておる、助かっておるとは言えない。
昨日の富久信会のお話を聞かせて頂いて、合楽食堂の中村さんが、今朝、三時まで、感動して眠られなかったち言う。あの熊本の方の、あの信心の、本当にもう、何とも言えんその、純粋な信心ですね。いわゆる。信心を身に付けていかれる。しかも、その信心が、家族親戚だけではなくて、昨日、お参りをして来ておる方達が、立派な、富永先生が言われるように、私のほうには、小さい教会ですけれども、信者が足ろうておる。信者がその、皆が素晴らしい。どの人を見ても、やはり、一騎当千という感じなんですよ。お話をきいておっても素晴らしいんです。それが、みんなその、上野さんのお導き。だから、みんなお菓子屋さんだそうです。大体、あんこ製造をしておられますから。ね。あんこ製造に行って、取引のあるところに、難儀を、そこにあると、そこでお話をされる。そすと、上野さんの言われることだから、みんなが信用する。そしてお参りをする。必ず、助かって行くと言う。というのが、現在、日奈久教会の御比礼の元になっておられるんです。その話を聞かせて頂いてです。感動が、それこそ、今朝三時までも、感動で眠れなかったというほどしのもの。はぁお話は頂かにゃいけん。
今日の朝の御理解のようにね。氏子を痛めては、神は喜ばんのだけれども、ね。自分の心から、そういう尊い話を受けて聞いて、自分の心の、信心の心が開けて、はぁ私どんが、おかげ頂かんはずという様なものを分かった時です。感動で眠られん具来にあるとです。ね。そういう、私は、信心が、日々、出来ていかなきゃならない。出来るだけ、お話を頂かなきゃいかん。出来るだけ、信心の出来た人の話をいただかにゃいけんという事が分かりますよね。どうぞ。